「おこしなして」

 

つい先日のこと。

なんかやたら警察の人が多いなーって思いながら買い物をしてたら

皇太子ご一家が式年遷宮の関係でご訪問中なんだとか。

愛子様にも皇后様にも特別な興味はないけれど、市民にとって

伊勢神宮はただの観光名所ではなくて、大事な心のよりどころ。

皇族にあってはご先祖をお祀りする神道の頂点だから、もっと頻繁に

ご参拝になればいいのに、と思う。

いつだって伊勢市民は大歓迎するはずだから。

右翼的な発想とか愛国的思想っていうんじゃなくて、日本人が何を大事

にして、何を守って生きてきたかという歴史の根幹がここにはある。

 

 

 

例えば、20年に一度の式年遷宮を経費の面だけで批判的なことを

いう人がいる。

確かに伊勢神宮の維持には途方もない経費と資源が必要だし、

近代的合理主義とは相容れない発想かもしれない。

内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、

14の別宮の全ての社殿、そして宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など

計65棟の殿舎、装束・神宝、宇治橋なども造り替える。

使用される檜材は一万本を越えるし、その総予算は550億円にもなる。

これを西暦685年に天武天皇が制定して以来、一度も絶えることなく

1,400年間続けてきたのが私たち日本人で、その中心にいたのが

伊勢の人たち。

例えば、式年遷宮の準備は8年前から始まっている。

必要な檜材の選定と確保が無事に執り行えるように「山口祭」という

儀式が最初で、それから近隣の各地で数々の神事が繰り返されて

概ね8年の月日を経て式年遷宮は完了する。

当然、遷宮に携わる人間ものべ2万人を越える。

膨大な無駄遣い、浪費の極みといわれる所以である。

 

では、伊勢の人たちは裕福だったのか? といえばそんなわけはない。

古くから「近江泥棒伊勢乞食」といわれるように、大商人でも質素倹約

で有名だった。

江戸時代の大商人といえば、大阪、近江、伊勢と相場が決まっていたが

それぞれに特徴的な生活規範があって、伊勢商人は乞食と称される

ほどに質素を尊び倹約につとめた。

今でも古い町並みが残っていて、豪商と呼ばれた佇まいの商家が

見られるんだけれど、たぶん他所の土地にはないものがたくさんある。

それが伊勢神宮御用達のご神器や布帛類、ご神饌などなどのお店。

日本全国から昔ながらの品々が細々と伝えられていると聞くと、

果たしてこんなことで商いが成り立つのかと心配になるほど。

 

前置きが長すぎた。

つまり、この膨大な無駄遣いの裏側には、二百年を越える樹齢の檜の

計画植林があって、人生に二度立ち会えるかどうかの宮大工の技術

伝承があって、それだけのために特別な養蚕をして、雪の蒸散漂白を

利用した寒晒しをする木綿農家があって、独特の様式美を染め出す

型紙職人がいて、その日のためにだけ用意する供え物を作り続けて

・・・・・・、上手に整理しきれないけど、先人の知恵や技術を後世に

伝える機会でもある。

 

確かに壮大なムダ遣いに見える珍事なんだけど、伊勢や近隣の

住人はそれを守り伝えることを生き甲斐にしてきたんだと思う。

信じるとか信じないじゃなくて、幼いときから伊勢神宮の行事に合わせて

月日を数えて育ってきたから無批判、無自覚なのかもしれないけれど。

 

日本人が世界に誇れるものがあるとすれば、物質的な繁栄や経済的な

豊かさではなくて、貧しくても鈍せず、目に見えないところでも努力を

惜しまない清潔な精神じゃないのかな?

 

で、私は当然のようにこの地を愛して、ここに住む人たちの日本原人

みたいな素朴さを愛している。

新幹線も走ってないし、空港もない。

大都市中心の政治や文化からも忘れられたような田舎だから

男も女も心根が穏和で、まずあか抜けたところがない。

みんな、都会の暮らしに疲れたら帰っておいでよ(笑)

刺激的な物は何もないけど、自然はいっぱい残ってるし

ここでは人は自然と闘わないで共存してるから。

 

「よぉおこしなして」 (いらっしゃいませ)